2014年2月10日に、この場で記した
今、日本でプロ野球選手になるもののほとんどが高校野球(高校の野球部に所属する)を経験している。
というより選択肢がそれしかない。
マック鈴木のように日本の高校野球のシステムがどうしても合わない場合は
その時点で渡米してプロを目指すか、日本のどこかのクラブチームを見つけるかくらいだろう。
高校野球部に所属した場合、大前提として目標とするのは甲子園出場となる。
個々によっては甲子園ではなくプロへの通過点だったり、
野球技術を磨く場として選択し、その先を目指す通過点だったり、
高校野球そのものを経験したいということだったり、
そもそも甲子園なんて夢という場合は野球がしたいだけだったり、
はたまた精神鍛錬や体力強化なんて目的もあるかもしれない。
しかし、野球部(チーム)となった場合は、高野連がつくる予選に参加し、
他校の野球部と対戦するために日々、白球を追うということになる。
このシステムは数十年、百年近く続いてきたことになる。
おかげで古い慣習を引きずって、疑問に思う多くのことも教育の一環という大義名分のもと、まかり通っている。
もちろんいい面もたくさんあるわけで
この慣習、伝統のおかげで、いまだに高校野球の人気は、根強いものであり
子供の頃見た高校野球にあこがれ、高校野球部に入部する人が続く。
そして、高校野球の注目があるからこそプロの人気が支えられ、高校野球で活躍した選手を追いかけ
プロの野球に流れていき、プロ野球や野球そのものの人気が根付いていくという大きな効果がある。
サッカーにはプロのクラブに下部組織があり、ピラミッド型に選手の育成を促している。
サッカーは高校の部活よりもこの下部組織の方が、一般的にメディアで取り上げられる機会が少ないものの
実力では勝っている印象を受ける。
野球において、この高校野球部以外の選択がないことにより古くからの慣習が幅を利かせ、
それを押し付け技術の向上を阻害しているのではないかと思わされることがある。
高校野球らしさ絶対主義をずっと押し付ける高野連。
そしてそのシステムに自らもどっぷり浸かり、教育、成長してきた指導者。
これによりプロの世界やレベルの高い組織においては常識とされるようなことも、
高校野球では排除される。