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4大ケガに泣いた大投手に渡辺智男、伊藤智仁、木佐貫、中里。
この4人はパワーピッチャーだったと昨日記した。
渡辺智男が全国にその名を知らしめたのは、1985年の春センバツだった。
桑田、清原入学以来、83年夏全国制覇、84年春準優勝、84年夏準優勝のPLとぶつかった準決勝。
2人が唯一決勝まで進めなかった大会となった。
2人の前に立ちはだかったのがメガネをかけて飄々とした表情で豪速球を投げ込む伊野商業・渡辺。
渡辺は、気迫を前面に出すとか、雄叫びを上げるとかをしない飄々と投げるイメージだ。
この大会で優勝した後、清原が、夏、打ったるから絶対出てこい、と言ったのに対し
夏は暑いからもういい、と返した言われる。
とにかく真っ直ぐが速く、スライダーとの組み合わせで三振をとれる本格派のピッチャーだ。
清原のバットに当たらず、あのPLがちっとも点を獲れないまま回が進み、
メガネをかけたこのピッチャーをなんで打てないんだと思っていたが、
あらためてそのピッチングをみると、全身を使った姿は躍動しており、素晴らしいピッチャーだと感じる。
9回に、のちにオリックスに入団する松山にホームランを打たれるが見事に完投勝利。
高校生にしてこれだけのフォームと球をもっていれば、将来が楽しみだったろう。
これを見れば、桑田よりも上と判断してもいいと思う。
優勝しても抱き合って喜ぶということもなく、握手してにっこりするのみ。
このへんもクールでよかった。
その後、渡辺は社会人に進み、ドラフト1位で西武へ入団し、清原とチームメートとなる。
けがを抱えていたにもかかわらずドラフト1位で指名された。
そして、それまでのエース・東尾の21番を用意される。
それだけ、渡辺の素質をプロが欲しがったということだ。
その後も怪我がちで二軍で投げているとき、
当時の監督・森は、
「こんなところで投げているようなピッチャーじゃないんだ」
と渡辺の復活を切望していた。
プロでは怪我のおかげで目立つことはなかったのだが、その速球は、与田や野茂よりも速いとされ、
二けた勝利も数度やっており、タイトルも獲得している。
しかしながら、選手生命は短命で終わってしまった。
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