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プロは甘い世界 落合

エリートとは程遠い道を行き、大出世した2人目に落合を取り上げる。

2020-4-10 野球界のサクセスストーリー 4人の大出世

 

高校時代、上下関係が嫌で、入退部を繰り返した。

大事な試合の時には、落合の力を必要として、呼び戻されたそうだ。

東洋大学進学後も体育会のノリが肌に合わず、すぐさま退学。

そしてプロボウラーを目指したが、試験に向かう途中、交通法違反を起こし、反則切符の納付のため

ボウリング試験費用を充てたので、プロボウラーの道は絶たれたとよく聞く。

しかし、試験途中に違反を起こしたのなら、反則金の納付は先になるはずで、試験を受けてから

その金の工面を考えそうなもので、交通違反がそのままプロボウラー断念につながるとは到底思えないのだが。

 

その後、東芝府中野球部へ入り、都市対抗へ出場、その後東京の補強選手にも選ばれ、

日本代表にまでなり、ロッテのドラフト3位指名を受ける。この時、既に25歳。

2000本以上のヒットを記録した野手の中でプロ入りが最も遅い選手となっている。

ちなみに大卒から社会人を経験しての名球会野手に古田、宮本、和田がいる。

これらの選手は高校卒業後に大学入学、4年間大学で過ごし、社会人野球で2年をすごした後に

ドラフト指名されるという、いわば日本の野球システムでは常に所属チームを持った形だった。

落合は大学中退なので、日本の野球システムからははみ出した形で野球をやってきた。

そのため、1年目を迎えた時には既に25歳になってしまっていた。

 

落合の足跡は全てが独特だ。俺流と表現されるのがよくわかる。

アマチュア時代の野球への取り組み、プロへの入団の経緯、否定された打ち方。

亜流を通ってきたのに、3度の3冠王という前人未踏の大記録。

常軌を逸していたからこそ、尋常でない記録へと到達できたのか。

王やイチローといった想像を絶することをしでかす人も常軌を逸している。

 

1対4という空前で絶後のトレード、選手会を拒否しておきながらFA初年度行使、

年俸法廷闘争と、行動でも常軌を外して話題を振りまいてきた。

 

それを象徴するかのような印象深い言葉に

”プロはそんな甘い世界じゃないから、すぐに無理だろうと思ったら、すごく甘い世界だったので

ずっといようと思った”

落合にしか言えないセリフだ。

 

あと2人。

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