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野球を続ける気すらなかった一流のプロ サクセスストーリーⅢ

野球を志した多くの人が、プロになりたかったのにそこへは届かず、他の道へ進む。

名門高校へ進み、名門大学へ行くような選手でもほとんどがプロへは届かない。

たとえ、プロへ行けても、数年でクビを切られる。

レギュラーでなく、10年もやれる選手など野球人口から数えたらほんの一握りだ。

さらに、プロでレギュラーとして何年も活躍できる人など12球団で考えれば数十人となる。

そんな世界なのにおよそプロで活躍できるとは思えない経歴なのに、レギュラーどころか

一流を飛び越えて超一流、唯一無二の並ぶ者さえいないほどの実力を身に着けた4人を一昨日と昨日で記した。

 

2021-3-1 こんな選手がプロになるなんて それもプロの中でも超一流になるなんて サクセスストーリー

2021-3-2 一流をも凌駕したアウトロー サクセスストーリーⅡ

 

その他に古田は、高校を普通の公立校へ行き、大学も一般受験、野球をやるつもりすらなかったそうだ。

そこから大学で力をつけたものの指名を約束されながらドラフトにかからず、反骨精神から社会人へ進み、

ヤクルト2位指名。そこから日本球史に残る名捕手になった。

古田と社会人時代に日本代表でバッテリーを組んだ野茂、ヤクルトでバッテリーを組んだ同い年の吉井の2人は

同時期にアメリカでプレーした。

近鉄時代にチームメートであるこの2人は、古田が海を渡れば、捕手としても打者としても絶対に通用すると言っていた。

 

巨人の松原は高校時代、控えだったそうだ。

野手で高校時代控えだった選手がプロ野球選手になるなど聞いたことがない。

他にいるのだろうか。

ピッチャーは、前述の上原などいくつも例がある。

ピッチャーはポジションが1つで高校時代のエースナンバーを付けられるのは1人だが、

野手は8つもポジションがあり、松原には脚があり、肩が強い。

この条件で高校時代、ベンチ入りできない理由はなんだったのか不思議だ。

 

楽天の監督まで務めた平石は、PL時代レギュラー出場がままならない”補欠のキャプテン”だった。

それがプロ野球選手になるばかりでなく、プロの監督にまでなった。

 

2019年、中日の育成1位指名で入団した松田は、高校時代バレーボール部だった。

高校時代に野球から離れ、名古屋大学という国立の1流大学へ進み、

そこから野球で立身するなどというストーリーはおそらく、前人未到の出来事
だろう。

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