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野球を救ってくれてありがとうイチロー 再録

イチローの一年目だった1992年。

翌年から日本にもプロサッカーリーグが開幕するとなった。

そして、Jリーグが開幕し、あのドーハの悲劇が起きた。

世は一気にサッカーブームとなり、Jリーグのスタジアムはどこも満員、熱気の渦となった。

サッカーはファッションの一環として生活の一部となり、

その関連グッズを身に着けることもステータスになった。

一方、野球は一昔前のパンチパーマ、セカンドバッグ、金ネックレスのイメージも影響し、

また、高校野球の坊主から、ダサい、古い、となり野球離れが大きく叫ばれることになった。

ONが去り、球界にスーパースター不在が20年以上続き、野球の行く末を案じる中、

まさに救世主として登場したのがイチローだった。

日本が高度経済成長の中、その象徴として人々を熱狂させたON。

バブルがはじけ、サッカー人気に押される中、登場したイチロー。

この時、イチローが現れなかったら野球はどうなっていただろう。

のちの一流野球選手の多くに影響を与え、野球の道へいざなった。

野球界の危機を救い、野球関連産業、野球人気の復興に寄与した功績は計り知れない。

今の野球選手もイチローがいなければ、野球をやっていない可能性すらあるのだ。

野球選手にとどまらず、あらゆる世界のアスリートに目標にされ、影響を与えた。

安打世界記録更新の偉業の時は野球界にとどまらず、各界のアスリートから

尊敬の念をこめた祝福の嵐だった。

イチローがいなかったらゆとり教育などと言われることがあったり、ハラスメントや体罰に敏感になったり、

という前時代的な封建の仕組みを残す高校野球が今の姿で存在できたのだろうか。

高校野球には左打者がものすごく増えた。

右打者より多いチームも少なくないどころか、野手全員左打者なんてこともあるほど。

野球のルール上、左打者が有利だからという理由以上にイチローと松井の存在が影響していることは明らかだ。

特にイチローの影響が明らか。

右利きが左に替える。右投げ左打ちが急激に増えた。

イチローが塗り替えるまで130試合制での最多安打は、

オリックスの打撃コーチをしていた新井が記録した184本だった。

新井曰く、「あの記録は、破られることはないだろうと思っていた。
それは、記録したあのシーズンはすべてうまくいったから。調子の良さはもちろんのこと、けがもなく、運も向いていた」
という主旨の発言を記憶している。

それをイチローは新井の目の前で越えて行き、さらに最多安打記録の191も突破し、

前人未到の200を優に超えた。

143試合制なら231本という圧倒的な数字に達する。

そしてさらに、この143試合だったらという仮定の話を持ち出すまでもなく

イチローは大リーグで262安打をして、驚愕の証明をした。

イチローのバッティング技術は次元が違うものだった。

今考えられる理論で、これ以上のテクニックがあるのだろうかと思わされるほど。

だが、真似が難しい。

その、卓越したバッティング技術があるがために、欠点が生まれてしまった。

ボール球でさえヒットにできてしまうということだ。

バッティングの極意は、主導権のあるピッチャーが投じる球を、

自分の打てる球に呼び込みいわゆる甘いといわれる打てる球を仕留めることにある。

イチローは自分からピッチャーに寄って行って、ボール球でさえ打てると判断してしまう。

これは、どうしてもミスショットが生まれる。

イチローは、自身の調子を判断する際、空振りできることをひとつの目安にしていることがあった。

ボール球でさえ、打てると判断してしまう技術ゆえ、難しい球をバットに当ててしまう。

打ちに行ってやめようと反応したとき、空振りに出来れば、ひとつの調整ができていると判断していたそうだ。

イチローが200安打して以来、ヒットマンの評価に200安打を達成することが加えられた。

200安打を達成した青木や西岡が、その達成時の数字をイチローと比べれば、さほど見劣るものではない。

同じシーズンに戦っていれば、首位打者争い、安打数争いを演じたかもしれない。

日本のレベルではイチローに近づいたかに見える。

しかし、さらに上のレベルに行ったとき、その実力の差が歴然と現れた。

MLBでは雲泥どころでない差となって、イチローの実力を浮き彫りにさせた。

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