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厚底シューズ禁止 道具がいっぱいある野球はもっと大変

昨日、道具を使うスポーツについて記し、その中で厚底シューズに触れた。

 

いわば、ドクター中松のジャンピングシューズに通ずるシューズであり、

長距離走の道具と言えば、ほぼシューズに限られるのだから、そこでこれだけの改良、

あるいは改悪がおきては、競技自体の変革になるわけで、ここへ規制がかかることも

視野に入れているだろう、と記した。

長距離走はレースとしての勝敗が絶対とは言え、勝敗そのものは記録であらわされる。

それが道具で生み出されているということになると、一考せざるを得ない事柄だ、とした。

すると、このタイミングで国際陸連が禁止に向かっていると報道された。

まさに、ジャストタイムとなった。

 

事が起きてから、禁止に向かっていたのでは様々な疑問が持ち上がる。

そもそも、シューズに数値による制約はなかったのか。

ないのであれば、バネが入っているようなシューズもOKとなりそうだ。

あるのであれば、それを通過したシューズにより、好記録連発が予想できなかったということになり、

ルールの甘さ、陸連の甘さが浮き彫りになる。

 

同時にメーカーにも同じことが言える。

あらゆる実験をこなしてきたのだから、記録の飛躍的な伸びにつながることは

わかっていたはずだろう。

制約がないからという理由で、構うものかと作り上げたのなら不誠実な部分を感じるし、

通過したのなら、売れ行きや評判を優先して、陸連との協議をおろそかにしたのでは、

という印象を持ってしまう。これまた不誠実だ。

 

ランナーはどうなのだろう。

驚異的な記録の伸びには、練習を重ねれば、試合前からわかることだし、

それによる記録更新に達成感はあるのだろうか。

勝手に足が前に出るという表現をする選手もいるくらいなのだ。

1億を掴むために禁断の果実に手を出したと見えてしまうのは否めない。

箱根駅伝はチームでの勝利のためにやっているので記録など関係ないともいえるが、

これだけの驚異的な区間新ラッシュには、本当にそれでいいのだろうか、と自粛の動きが

出てきてもよかったように思われる。

いつもアスリートは無邪気な善者で、取り締まる機関は権力をかさにきた規制の権化と言う図式がある。

むしろ、勝つためにという大前提と、輝くことが一瞬のアスリートの方が打算や邪が、いっぱいだ。

だって功績が後世に残るのだもの。

それは汗して、毎日必死にやっているのが世間に伝わり、スポーツ選手はさわやかのイメージがあり、

競技中の苦悩と感動があるので味方にされやすい。

 

一旦公式にこう発表したからにはそれによる記録は参考へと変貌するのだろう。

かつての水泳で禁止となったウェットスーツの時の再現だ。

テクノロジーは進化しており、それを否定することはできないという言い分もある。

確かに、それもそうだ。

いつまでも道具を同じ仕様でやれというのも無理な話で、進化して当然だ。

じゃあどこからダメなのか、今までの人は不利じゃないか、となる。

この加減を納得できる形で制約しないといけなくなるわけだ。

勝ち負けだけに注目するなら、競技が面白ければいいということになるが、

陸上競技は記録と切っても切れないのだから、道具次第で大きく変わっていては大問題なのだ。

 

道具が多く介在し、道具に技術の多くを頼ると言っていい野球などはもっと大変だ。

さらに、球場の大きさに決まりがなく、人間の恣意で細かいルールがしょっちょう変わるのだから

個人の記録を比べるのは無理なはずだが、一旦数字で示されると、強力な根拠になってしまうので

他の要因を排除して優劣をつけてしまう。

そして、タラレバが常に野球談議には欠かせなくなり、思い入れや見方で自論の巷と化す。

逆にロマンとして、ファンを熱くさせもする。

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