高校野球とプロ野球の意識の違いについて記した2015年2月2日の内容。
動機が金稼ぎであるプロに対して、動機が青春の1ページを記録するため、という側面がある高校野球。
使う方(指導者、監督)や使われる方(選手)、さらにチームメートもお互いに気の使い方が違う。
たとえば、プロでは確率が高いプレーをあえて選択しないということがある。
そのひとつが盗塁をしないという選択。
ある場面で盗塁の成功率が5割くらいという感覚があるとする。
打者のヒットの確率が良くて3割とすれば、走るという選択をとることの方が妥当であるはずだ。
しかし、プロでは後ろの打者の年俸や契約内容=生活に影響するので走らないと選択することが多くある。
また、シーズン序盤であったりしたら、そこで盗塁を成功させて点をとっても
負けてしまえば、わざわざ走らせなくて良かったという判断になる。
序盤の1敗のために打者に1球待たせてストライクにでもなってしまったら、
打者が不利な状況になってしまいかねないので盗塁をするという選択はしないのだ。
結果、打たすという選択をとることにより、打者に責任と納得をもたす戦略になりがちで保守的な戦いとなる。
打たせて負けた場合、非難が一番少ないからだ。
今日負けたらもう終わりというなら盗塁も敢行するだろう。
でもペナントレースは盗塁の成功率5割より打つ確率3割を優先する。
高校野球は高校生活という限られた二度と戻らない時間の中で行われること、
味方も相手も同世代の人間で行われること、考えも体も未熟の中で多くの時間をそこへつぎこむこと、
このような境遇は人生の中でこの時しかない。
故に特別な連帯感が生まれるものだ。
だから一人の成績より勝つために最も良い方法を選択する。
今、プロで活躍する選手の中にも高校野球のたった1試合のためにつぶれてもいいと賭ける選手が多くいた。
移籍があり、明日は敵かもしれないプロではこんな感覚は生まれない。