佐々木の登板回避に端を発したこの連載。
2019-7-31 佐々木の決勝登板回避 論点はそこじゃない
2019-8-2 登板回避は日程緩和ですぐに解決できるが、それだけで事は済まない
日程に余裕をもたすことが高校野球の目的に適っているかという見方もできる。
日程に余裕を持たせるということは、ピッチャーのためという以外の理由はない。
これは野球が勝敗をピッチャーが100%握っているから起きる現象であり、
日程を空けなければいけないのも肩が消耗品だからということ。
野球の特殊性で1人の大物ピッチャーの存在だけでチームが強くなる。
とすると、日程の間隔を空け、1人のピッチャーが抑えていくチームが本当に
NO.1に相応しいか。
野球がチームスポーツであるなら、総合力があるチームこそが勝ち上がるに
相応しいという見方もできる。
そうなると、複数のピッチャーで勝ち上がり、チームの層の厚さで勝つことこそ
NO.1に相応しいということになりそうだ。
日程の間隔を空けることを採用するということは、ケガ防止という主眼とともに
1人のピッチャーで勝っていける仕組みということを同時に生み出す。
現状の過密日程を採用することは、コスト削減、観戦者の熱中、を引きだすという
主眼とともに、選手層の厚いチームに勝たせる仕組みということを同時に生み出し、
全国から選手を集める予算を避けるチームを勝たせる仕組みということになる。
そもそも高校野球の名目は教育の一環として、人間形成のために野球を利用し、
そこから多くのことを学ばせる部活動だ。
それは、全国大会を実施し、強者は誰か、日本一の栄冠を与える、という仕組みのない
文科系部活動と存在意義は同列とも言える。
となると、高校野球は技術の向上や野球レベルの向上を目的としていないことになる。
そうなると、どこが勝とうが構わないし、逆に敗けようが構わないという見方ができる。
教育であり、人間形成のために存在しているのなら勝っても敗けても意義があるから。
そうなると、日程など過密でもいいという見方ができる。
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