高校野球で勝負に重きを置いたら審判はいなくなった方がいい。
高校生のために審判をやってあげようなどと思わない方がいいのだ。
実はそれが迷惑だ。
きっと審判をやろうと思う人は高校野球に携わりたい、高校生の青春を応援したい、
野球発展の力になりたい、という気持ちだろう。
こういう考えで採用した人たちの下す判定がひどいから試合内容に傷がつく。
対戦チーム同士の力量でなく、審判の力量にゲームの行方を支配される。
実力拮抗ほど審判のために勝者が敗者になるという矛盾。
ボールをストライクと言われれば次の1球への作戦が変わるから審判が試合を決めていると言えるのだ。
それは高野連の方針に従った判定と思われるので、最も責任があるのは高野連ではある。
誰も審判をやろうと思わなければ、別の道を探ることになるだろう。
ひとつは皆で判断するという方法が考えられる。
結果、質のいい判定となり、結果、質のいい試合となり、結果、野球技術が向上する。
今の高校野球の審判は野球技術の発展を鈍らせている。
少なくとも一瞬の判断を間違えたと思えば、反省し、次に生かす前に身を退く選択をする。
年齢を重ねて判断が鈍ってきたら、自ら身を退く。
高齢者の交通事故と一緒だ。
判断が鈍ってきたら返納するように自ら退くこと。
方法としてはまだまだある。
コンピュータと主審とセンターカメラで2票以上の判定を選択するとか、
アウトセーフの判定には細かい審判資格がない副審も置くとか。
アウト、セーフはタイミングによるものなので野球のルールに精通していなくてもできる。
研修で審判資格のある人間と判定がほぼ一緒になったら副審資格を与え、3人でアウト、セーフを判定する。
それからキャッチかバウンドの判定もできるだろう。
複数の目で吟味したらいいのだ。
プロでもリクエストでこれだけ覆るのだから、間違えることを前提に
間違えを排除する努力をすることの方が教育だ。
正常な道へ導くためのものが教育であり、高校野球は教育の一環であるなら
それを主催する方が正常へと努力しなければ教育を掲げられない。
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