‟流れ”について考察する木曜連載6回目。
競技性を持たせるために、双方に好機が起こるように設計されているものをゲームと言う。
いやなタイミングを感じたり、発奮するタイミングを得たり、もともとそう設計されており、
まさにこれがゲームだから。
起きるべくして起きるゲームだ。
2023-11-9 流れと言ってしまえば片付く 都合のいい表現「流れ」
2023-11-16 流れがあるのなら試合の行方がわかるはず 都合のいい表現「流れ」
2023-11-23 勝負は実力によって決まる 都合のいい表現「流れ
2023-12-7 山あり谷あり逆転あり、だからおもしろい 都合のいい表現「流れ」
他にはペースも‟流れ”と思うことのひとつだろう。
自チームは得点する術に乏しいと思えば、守って点をやらずに勝とうとする。
あるいは豪打の甲子園常連校は相手が点を獲ろうと相手ピッチャ―が手強いと思わなければ
いくら点を獲られようが、終始、勝てると思う。
一見、がっぷり四つに見えても強豪校にとっては自分のペースだ。
やっぱりそれがゲームであり、それが実力ということだ。
実際に‟流れ”が変わってしまうと発言してそれがどれだけ変わったか。
はたまた、結果から振り返って‟流れ”を変えたプレーとか言っていないか。
こういうプレーが‟流れ”を変えてしまうというそのプレーが起きたら、
どれだけ得点が入るのかあるいは失点するのか。あるいは勝敗が分かれるのか。
ゲームは作戦や戦略により成果がもたらされ、成果は実力だ。
‟流れ”を引き寄せられなかったのは作戦の選択違いであり、もしくは作戦や戦略では
いかんともしがたいほどの実力差があるからだ。