盗みと言えば悪いことだが、研究と言えば高度な戦術のサイン盗み。
2021-7-14 かつては高度な戦術だった サイン盗みの矛盾Ⅱ
2021-7-7 サイン盗みの矛盾 近本はなんのためにあんなことするの
明治の頃の野球を記した書に、
”野球草創期に野球を紹介する新渡戸稲造は、野球と云う遊戯は悪く云えば巾着切りの遊戯 對手をペテンに掛けよう、計略に陥れよう、塁を盗もうなどと眼を四方八面に配り、神經を鋭くしてやる遊び 野球選手の不作法、日本の運動家の品性下劣”
とある。
野球とはそもそもそういう競技であり、ペテンにかけることを旨としていた、ということだ。
むしろ、それがこの競技の第一の目的とも言えるほど。
サイン研究とその見破りなど常道のはずだった。
問題はダメとされていることを隠れてこそこそばれないようにやるということだろう。
しかし、隠れてやらないとやっていることがバレちゃうから効果も半減してしまう。
だからやりたいチームは、うちはやりますよ、と言ってやればいい。
何をやっているかは言えないけれど、と。
もしくは、やっていいはずだ、と訴えればいい。
ここまでは許してくれ、と言い、だって、野球ってそういうスポーツじゃん、って。
サインの研究、見破りは100%悪とは言い切れないのだから、その正当性を論理だてて堂々と表明すればいい。
もし、だめなことだなと思いながら、こそこそやっていたのなら罪となる。
全ての対戦型スポーツは騙しあいだ。
そして、ヤクルト‐阪神のようなことがたまに起きるから物議を醸し、話題になって注目を受けるというのもある。
皆が皆行儀よくやっていたらおそらくマンネリが進み、おもしろみがなくなるだろう。
興奮しなくなる。
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