U-18国際戦での各国の選手との体格さは露だった。特に決勝のアメリカとは大人と子供の差だった。日本チームでは大きい方とされる選手でさえ、アメリカチームでは小さい方に分類されるだろう。190を超える選手が特別でなく登場するアメリカチームに点差はわずかで敗けたが、勝ったところで、相手をやっつけたという感じは受けない。野球の本質で負けたということだ。野球はまず身体のでかさがその時点で有利にはたらく競技だ。
日本では、この高校野球という仕組みが象徴するように、野球エリートの通る道は名門高校、名門大学でプレーすることだ。つまり、どこかの学校に一旦入り、その中で野球部という専門課程で技術を磨く。野球に限らず、他のスポーツもこの方式だ。本来は学問、研究の場ということを考えると、本来はおかしな仕組みだ。だが、資金力と売名、広告という効力を考えると、学校という枠を利用することが最も手っ取り早い。プロは、そうして育った選手をアマチュアが整えてきた環境で育った選手を吸い上げるだけだ。
監督は好かれることは全く不要だ。こっちをとればあっちはとれないというのがプロの制限の中での采配だから。勝つことを最善と捉えるしかない。ただ、プロが懲罰交代というのも、情けない。その日使うと判断したのは監督だ。次の日に代えるとか、二軍へというのがプロの世界と思うのだが。
2025-10-17 ケガさえなければは、感傷にしたりたいだけの言い訳
そんな中で、過去にも今にもケガさえなければと悔やむことばを聞くものだが、野球選手などケガすることの方が自然だ。五体満足でプレーしている選手の方が少ない。名選手ほど体を酷使するのでケガをする。そして、名投手は例外なく利き腕を壊す。100%だ。だから、ケガさえなければというのは当てはまらない。それが寿命とさえ言える。さらにケガをしていなくともプロのレベルは年々上がるので、そのままでいられることの方が少ない。トップの実力でいられる期間は短く、輝く瞬間は一瞬であり、後から入ってくる新しい個性に飲み込まれていくものなのだ。そうでなければ野球が発展していないということになるもの。プロは孤高に戦う姿勢でいて、敗れれば去るという世界だ。だから勝ち残ったものには破格の待遇が用意されることになる。これを求め、最上層部では熾烈な争いが繰り広げられ、全体のレベルを上げていく効果を生む。


