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シード校の存在とは 最終章

過去2度つづけ、今日で3度目となるこのテーマ。

高校野球 大阪大会にシード制は必要か

過去2回はコチラへ

2016-8-8 甲子園大会がはじまった今、シード校の存在とは

2016-8-11 高校野球でのシード校の存在とはⅡ

今日で最後としよう。

 

強豪校は、実力の劣る弱小校や普通の高校とは試合などしたくないのだ。

面倒くさいと思っているし、その時間はもっと別に使いたい。

 

東京6大学では、東京大学が当然、連敗する。

東京大学の野球部に属する選手は、高校時代、他の6大学リーグ

つまり早稲田、慶応、明治、法政、立教で野球をやるような選手と対戦する機会などなかったはずだ。

それが、

頭脳明晰で東大に入り野球部に入れば、

高校時代は相手にもしてくれなかったような選手達で構成されるチームと

神宮の舞台で野球をやらせてもらえる。

東京大学以外の6大学チームは東京大学と試合するのは面倒くさいと思っているだろう。

 

草野球でさえ、実力が離れたチーム同士がやれば、間延びし、審判、観客、両チームが

「早く終われ」と思うくらいだ。

 

この記事によると、「公平の原則」が理由の一つらしい。

こんなに実力が離れる選手で構成される可能性がある仕組みになっているところで

同じ大会で公平に戦うということに無理がある。

 

そもそも何が公平かわからない。

最初から勝ち負けがはっきりしているチーム同士が一回戦から当たり、

大差のコールドゲームが公平なのか。

 

厳しい環境で野球をやっているチームと大会直前にチームを結成し、

寄せ集めで参加してくるチームが同じ大会ということが公平なのか。

 

受検して、住んでいる地域も限定されている公立校の野球部と

全国から有望な選手を引っ張ってくる強豪私立が同じ大会ということが公平なのか。

 

選手をどのように構成されるかは、その高校の自由、

試合の舞台だけは用意してあげるよというのが公平のスタンスということなのだろうが、

ここまで大きくなった高校野球文化を「公平」の一言で仕組みを変えないことには矛盾が多い。

 

しかし、大きくなりすぎた高校野球文化と甲子園文化にメスを入れることも勇気がいる。

しかし、矛盾が多い高校野球の仕組みは過渡期に来ている。

 

ここまでになったのは、

日本に根付いた野球の文化を一生懸命、それぞれの時代に生きた高校球児が継いで来て、

人の心を揺さぶる高校野球文化として育てた選手の功績に尽きる。

 

選手本位の大会であるよう願い、

高校生に物言うことなど許さない今の体質が改善され、

日本の野球文化を支える彼らの野球人生が充実されるものになることを願う。

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