昨日からのつづきだ。
古くからランニング至上主義とも言える日本の野球。
それに対する反駁というのは
走って得られることと、
走らずとも得られることと、
走ることでは得られないことがある、ということになるように思われる。
体が大きい野球選手は長い距離を走ることを最も嫌うという場合は多い。
また、野球選手にとって優秀な体質は、長い距離を走れないという特徴を持つ。
だから、いやなことをせずとも同じ効果を得る方法は何かを考えたのだろう。
または、走ることで失う可能性がある必要な肉体や技術を他の方法により代替することにより、
野球に必要な体ができる、ということなのだろう。
それも長い時間を要しなければならないランニングという方法ではなく、
効率良く獲得する方法を、だ。
走ることが全く意味ないわけではない。そして、走ることで得られる感覚もあるだろう。
走ることがいいと考える選手はそれを実践してもいいわけだ。
目的はアウトを獲る球を投げる、
また、試合に勝つ投球をする、ということだから、
それに合うトレーニングを発見しているならば、それをすればいい。
ランニングは時間がかかり、効果は少ないかもしれない。
そして、ランニングが苦手な人にとっては、失うものが大きいリスクがある可能性がある。
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