年齢やキャリアから判断して一般に、今が選手としてのピークを迎えたと思える大谷。
この時期に故障の慰安のため、これまでのプレーからは制限がかかった。
これを吉とするか。
大谷は、いわゆる二刀流ができることを証明したと言うより、
むしろあらためて無理を証明したと言える。
大谷が仮に今引退したら、後世には大打者として語り継がれるだろう。
大投手というよりは、両方こなしたということと大打者として語られる。
大投手として取り上げられることは少ないはず。
大谷は高校卒業後、海外へ渡ると公言していた。
そのため日本球団はドラフト指名を避けた。
大谷がそのまま海外へ渡っているか、日ハム以外の球団に行っていたら、
ピッチャーとしてその才能を伸ばす道を歩んだだろう。
本人もそのつもりだった。
そうして大投手として年間100億を稼ぐ男になっていたかもしれない。
日ハムのウルトラC提案が歴史を動かす全てのはじまりで、大谷の人生のみならず、
世界中の人の野球への見方を変えさせ、多くの人の生き方に影響を与えることになる。
だが、大谷でさえやはり無理だった。
大谷をついに海外へ送り出す際、栗山が言った、「二刀流が成功だったかはわからない」
はまさにこのことだったと思われる。
世の中のほとんどの人が大谷の兼任は大成功と思っているし、これによって感情を
大きく揺さぶられたから失敗ではない。
プロ野球選手としては成功だ。
栗山の言うのは大谷の野球人生として、そしてチームの一選手としての起用にとって
成功だったかはわからない、ということだろう。
明日へ続ける。