天才は天賦の才だ。
天から授かった生まれ持っての才能。
努力は何もないところから時間をかけ鍛錬し、能力をつくり、引き出し、伸ばすこと
のようにとらえられている。
ただ、天才と呼ばれる人でも何もしないでいきなりそれができることはない。
興味をもって、取り組み、さらに惹かれ、さらに興味をもって熱中していく。そのことばかり考えている。
普段、まったく気にも留めずにいざ本番だけ力を発揮する人はいないだろう。
野球でもスポーツでも学問でも、一般のあらゆる仕事でも。
白鵬は帰らされそうとしたが、スモウ、スモウとつたない日本語で角界にいることを懇願し、認められ、
ついには史上最高にまでなった。
相撲のない世界に生きてきた62キロの青年が。
いきなり野球をやってうまいやつはいない。
海外から身体能力に優れ、鍛え、ものにしていくという取り組みは日本の球界でも行われているようだ。
ただ、この時も、連れてきてやってみろといきなりプロの一軍で通用することはできない。
ここでも努力が必要だ。
その努力で子供のころから野球ばかりやってきた日本の選手を上回っていくかもしれない。
短い期間でそれが可能なら天才だ。しかし、無から生み出したのではない。相応の努力があった。
天才は天から才能を与えられた天賦ではなく、天からその才能を奪い取った。
もしくは、天の落とし子か。
それでも、その才を放っておいたら、どうしようもない。
実際、そういう人もいたのかもしれない。だって、世に出なければその才能が誰にも分らないのだから。
だから、どんな天才も
天賦の才に気付いた人で、
天賦の才を伸ばそうとする人で、
天賦の才に客観視できる人、
でないと天才たる成果が現れない。
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