公平や平等、本当の強者はどういう仕組みによるべきか、というテーマで記してきた。
2021-6-29 ルールは公平につくられているが、仕組みは公平か?
2021-6-30 CSというゴミとなるべき制度 ルールは公平につくられているが、仕組みは公平か?Ⅱ
公立校に不平等というのは当てはまらない。
勝ちに近づくかどうかで言えば不平等だが、勝負だから戦前からの取り組みもそこへ行き着くまでの
準備としての差と捉えることができる。
準備とは環境であり、環境に予算を積めることが勝負に関わる。
環境とは、施設、指導者、勧誘、道具、といった全てだ。
この準備段階まで不公平、不平等と言い出すと練習すらするな、とまで言える理屈になってしまう。
練習すらしないまま、用意ドンではじめる事こそ平等とまで行きつきそうだ。
そしてやっている者からしたら、公平や平等を求めていない。
自分に与えられた、あるいは自分の境遇の元、どう成果を出すか、どう精一杯やるか、
どれだけ自分の実力を伸ばし、発揮できるか、どれだけチーム力を発表できるか、に賭けている。
世の中、平等になどできていないのだから、本能としてハナから受け入れている。
公立だってその私立を食ってやろうと思う。
そして何より、相手は強いだけ強い方がいいのだ。
なんなら、地方大会でプロと対戦出来たら大歓迎だ。
それですら、勝ってやろうと思っている。
こんな強い奴、こんなすごいピッチャー、こんなすごい打者とやれるのが楽しいもの。
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