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人類の可能性への希望だ。内村連覇

内村の総合の全演技に引き込まれていた。

過去、この場で記した内村の偉業に対する賛辞をもう一度確認してもらいたい。

それは、コチラ 驚愕の内村6連覇2015-11-4

驚愕の内村6連覇Ⅱ 2015-11-11

驚愕の内村6連覇Ⅲ 2015-11-18

 

このオリンピックでの内村は、団体で6種目、総合で6種目をこなすという

まさに大車輪、大黒柱で大エースの活躍だ。

 

プレッシャーがかかりながら最高の演技、得意の鉄棒の演技は当然のごとく完成させてきた。

やることやった。これで負けても悔いはない。という程の充実感で我々に感動を与えた。

 

勝敗や得点ばかりを気にしがちであるが、相手は関係ない。

自分のパフォーマンスに集中した王者が体操の美しさを届けてくれた。

メダルや得点など邪念だと言わんばかりに。

 

メダルだのなんだのは結果に過ぎない。

リードされている状況で勝ちを意識するということは相手の失敗を願うことになる。

これは、スポーツマンシップとは言い難い。

 

対戦型のスポーツは失敗を誘う。

野球は、相手のスキをつくプレーをするし、サッカーは相手のいないところに走り込み、

バレーはフェイントを施し、テニスは相手が届かないところに打つ。

対戦型のスポーツは騙し合い、読み合い、スキをつくのだから相手の失敗を誘おうとしていい。

それが、正々堂々の勝負となる。

 

体操やフィギアスケートのような演技の競技は自分の最高を発揮すればよい。

自分の最高を発揮して、相手の失敗を願わず、相手にも最高の演技をしてもらい

後の結果はただの結果。

 

見る方も、

演技を楽しみ、その緊張を楽しみ、技の美しさを楽しみ、人間の運動能力の可能性を楽しめばいい。

結果は結果。金メダルならそれはそれで喜び、賛辞を贈ろう。

 

陸上や水泳も相手と対戦するわけではない。

レースをし、相手が一緒に走ったり泳いだりするからこそタイムが出たりするものだが、

基本的には自分の持っている最高パフォーマンスを出す競技だ。

 

野球だって勝ちたいし優勝したいが、それよりレベルの高い相手と良い試合をしたいし、

今まで見たこともないようなピッチャーと対戦してみたい。大谷の本気の球を打席に立てれば

勝負よりそっちの方が楽しい。

 

内村は点数は見ていなかったそうだ。

勝負から離れ、自分の演技に集中していたということだ。

 

武井壮のツイッターにこんなのがあった。

「体操個人総合のダイジェスト観てると十種競技時代のドキドキが蘇るな。。他の選手の試技を見ている時の『応援したいけど成功されると自分が追い込まれるけど失敗されて勝っても仕方ねえ。。』って感情と『なら走る種目でブッチギって勝てばいいけど400と1500が怖え』って感情押し寄せてくる。。」

まさにその通りだ。

 

ベルニャエフは採点に無駄な質問と一蹴し、内村の鉄棒に脱帽していた。

これぞスポーツマンシップだ。

私もベルニャエフの鉄棒が終わった段階で、内村が負けたと思った。

ベルニャエフは不満を口にしてもいいし、周りが少し言ってあげた方が本人が救われる面もある。

柔道・篠原の銀メダル時は、日本中が騒いだし、篠原自身にもっと不満や抗議の発言を

多くの人が期待していた。

そして、内村逆転にえっ?と思った人間が私を含め多くいるはずだから記者がどこかの場面で

こういう発言をするのはジャーナリストとして当然だ。

いじわるな質問でも心無い質問でもなんでもない。

この質問に対する応え方で内村、ベルニャエフのスポーツマンシップが浮き彫りになり

スポーツが平和を導く力があることを周知させることになる。

そのためにも、あえて記者はこういう質問をして引き出させたわけだ。

 

内村は、総合で今後彼に勝つ自信はないと言った。

そして彼に今後の体操界を引っ張ってもらいたいと言った。

こちらもスポーツマンシップであり、まさに王者の品格をたっぷり含んだ発言だ。

ベルニャエフにはぜひ今後頑張ってほしい。

そして体操ニッポンも大エース内村の後を追う選手が出て来てくれることを願う。

 

オリンピック三大競技である陸上、水泳、体操での

体操個人連覇は他の競技での連覇よりもはるかに価値がある。

 

人間の肉体の可能性を全人類に希望をもたせてくれるこのオリンピックでの体操個人総合のドラマだった。

オリンピックの存在意義が示された体操のすばらしい戦いだった。

日本にとってのみならず、人類にとって価値がある。

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