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強いチーム 脚と守備力 対戦型スポーツの人間味 潔く負け サウスポー貴重時代 今週のダイジェスト

2019-6-3 強いチームに見えること

強いチームに見えること、上手そうに見えることのひとつに、走塁の意識が高いことをあげる。スキを突こうと常にしている、カウントによっては動いてくる、あるいは動いてきそう、速くなくてもできることだ。走塁は単純なスピード以上に判断能力が大事になってくる。走者は、死なないことと一歩目と状況判断ができることが、相手に脅威を与える。他に、強く見える、負けにくいというチームは、打ち取った打球を確率高くアウトにすること、中継プレーの無駄をなくすこと、バックアップ、カバーを的確にしていること、点を獲るところでチームで1点を獲りに行くこと、1点を覚悟してでも、打者ランナーに進塁させないこと、などがあげられよう。力でねじ伏せるチームにはあまり、見られない野球だ。

2019-6-4 脚があれば当然守備にも期待が持てる

守備がうまいということは単に、グラブさばきだけでなく、脚力が備わっていることをいう。グラブさばきがうまいだけの選手のファインプレーは、脚力がある守備範囲の広い選手が楽に追いついてしまう打球の可能性が大きい。守備は鍛えればうまくなる。そして10割成功が可能な分野だ。

2019-6-5対戦型スポーツは採点型よりも人気になるのは人間味があるから

対戦型とは相手と対峙して、相手との技術の攻防により、勝敗を争う競技とでも言うか。こういうスポーツは、相手の出方をうかがったり、相手の実力に合わせた技を用意したり、相手のミスにつけこんだり、ミスを誘発するよう心理を働かせたりする。相手との駆け引きが存在するので、ドラマが生まれやすく、また、人間味が感じやすくなる。だから、人気となる種類のスポーツは、だいたいこういう対戦型のスポーツであり、ゆえに、びっくりする金が飛び交うのはこういう種類のスポーツだ。

2019-6-6 潔く負けを認めることはいいことなのか

潔く負けを認めるがよいことで、すがすがしさを感じさせるのは見ている側にとっての印象だけな気がする。傍観者にとってはさわやかさをもたらすので心地よい。だが、当事者にとってはいさぎよいはしばしば、反省を放棄し、考えることをやめてもよいという免罪符を意味する。ことばのさわやかさに胡坐をかいた言い訳ともいえる。潔く負けを認めていては、勝つために費やした時間を無駄にし、勝負への感性を鈍らせることを招きかねない。それは、既成を容易に受け入れることであり、甘えだ。怠惰な態度であり、不誠実だ。潔く負けを認めることは、勝利への執念の欠如と同義だ。

2019-6-7 左打者豊作時代にサウスポー貴重時代再来

イチローと松井の影響で最近は左打者が一気に増えた。右投げ左打ちだ。右利きがわざわざ左に変えるのだ。高校野球では左打者の方が多いチームがあるどころか、野手全員左打ちなどということもある。内野手はファースト以外は右利きだし、キャッチャーもまず、右利きだ。それなのに、左打者が並ぶということは、わざわざ変えていることになる。そういう左打者が増えたのなら、今度は左ピッチャーが有効となる。数が少ないから有効とされていた左ピッチャーが、今は左打者が多いから有効となった。理由は左打者にとって左ピッチャーの投球は見にくいからだ

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