2024-2-5 ランナーを刺そうと思えば、送球は早く、強く、正確に 続編
この時、難しいバウンドになろうと低い分には捕る可能性が残り、高くジャンプしてもダメという球はその時点でチャンスは全くなくなることが基本となる。低くてもベースから離れるような球でもダメだ。正確に、は捕れる範囲に投げるということになる。何も胸に投げる事すら最も良い送球ではなくなる。フォースプレーなら力のある球を胸の高さに投げられれば、良い送球になるが、タッチプレーは胸すらよくない場合がある。
ホームランを打つことだけが選手に求められているわけではない。脚を生かした栗山の選択だって正解だ。何も否定されることではない。ホームラン打者が9人いれば勝てるわけではない。素振りをすれば、そして練習すれば大打者になれるのなら誰でもなれることになる。素振りをすれば大打者になれるわけではなく、それでは足りない。
振れば大成なら誰でもやる。誰かが保証してくれるなら歯を食いしばってできる。野球に限らず世の中のことで、やればこうなる、とわかっているなら、そしてどうしても達成したいのならがんばるものだが、完全な正解がない。保証がないから、もし時間を費やして無益に終わっては取り返しがつかないからそれなら楽を選択するもの。確信がないから徒労が怖い。
規則を守らず絶対服従が最善とされる世界のどこが教育なのか。フィールドから一歩出た瞬間、社会生活の一員に戻り、うっかりフィールド同様に規則に反してもまかり通ると思い込んでしまったら危険だ。フィールド内では間違えても許されると染みついてしまって、法律違反もまあ許されると錯覚してしまったら取り返しがつかない。人を傷つけ、秩序を乱し、多くの人を不幸にする。社会ではその行為について取り調べ、振り返り、実況見分、裁判などを経て審判が下されることになる。だが、フィールド内では厳粛な審判は行われない。
2024-2-9 野球を救ってくれてありがとうイチロー 再録
野球界の危機を救い、野球関連産業、野球人気の復興に寄与した功績は計り知れない。今の野球選手もイチローがいなければ、野球をやっていない可能性すらあるのだ。野球選手にとどまらず、あらゆる世界のアスリートに目標にされ、影響を与えた。安打世界記録更新の偉業の時は野球界にとどまらず、各界のアスリートから尊敬の念をこめた祝福の嵐だった。イチローがいなかったらゆとり教育などと言われることがあったり、ハラスメントや体罰に敏感になったり、という前時代的な封建の仕組みを残す高校野球が今の姿で存在できたのだろうか。