川の流れには規則がある。重力があるから、高いところから低いところへと流れるので、一方向だ。試合は双方が引き合う。両方がそっちへ点を与えないため、あるいは点を奪うため攻防がある。そこには「流れ」があるのではなく、ゲームがあるのだ。勝負であり、試合であり、実力だ。
「流す」という言い方から考えれば、そのままで、反発させず方向を変えないというイメージだ。ということは押すように打つというよりそのままの勢いを殺さないで打つというイメージとなる。球の流れに逆らわずバットを出し、いわゆる反対方向へ打つことを流し打ちというだろう。ということは右打者なら軌道を外へと移す変化球か、右ピッチャーが投じる真っ直ぐがこれにあたり、左打者ならその逆となる。だから流し打ちと言った場合、右対右、左対左の場合に起きることが多い。
このような展開のことを「流れ」と表現することがあり、それは「流れ」が一方のチームにあるから「流れ」でいいだろう。それは実力のことを指すからだ。ただ、先述した「一球目がストライクだったから試合の流れが決まりました」とか「あのファインプレーが流れを・・・」「ジョックロックが流れを・・・」などのことも一様に定義のない「流れ」という表現を使うから、「流れ」は存在し、それは正しいものと浸透してしまった。
球団を増やすということは、今までプロ野球選手になれない実力の人も、プロになれ、二軍でくすぶる選手が一軍へ、控えの選手がレギュラーに、ということは容易に想像できる。もしくは、例えば、今いる各球団の支配下選手が70人として12球団だから、840人。これを16球団に散らばるとして、支配下選手を1球団、50数人にしたとしても、全体の層は薄くなるわけだ。各チームの層が薄くなるから、今、一流のプレーヤーは歩かせることになり、フォアボールが増える。そして周りの選手の実力が高いチームは、主軸の打者のホームランと打率が伸びてくる。王がホームランを今ではあり得ないくらい量産したのはそういう事情からだ。巨人の選手のレベルが高く、相手が弱く、王の実力が突出していたから。


