牽制を多くもらう選手は脚が速い選手、それは盗塁を警戒してのものだ。盗塁数が少ない選手にしつこく牽制することはない。脚の速くない選手には一度牽制して、警戒している様子を見せれば、走らせないという目的で言えば十分だろう。走る気がなければリードをさほどとらない。牽制で死にたくないからだ。だが、走らないからこそ、リードを大きくとれるとも言える。
リードをとる場合、どこにボールがあるかだけ意識していれば牽制に刺されることはない。見えないところから素早くとか静かに野手がベースに入っても、ボールを持っている選手、この場合ピッチャーである場合が多いが、そこを集中していれば絶対に刺されない。リードしているとき、野手が近づく音がすれば、いやおうなしに意識はしてしまうが、それでも関係ない。野手がランナーに気づかれないようにうまく入った、などと解説する者もいるが、全く関係ない。ランナーとしては気づかなくていいのだ。
イニング間の投球練習も、そこは勝負していない。条件が一緒なら平等だ。方法を考えればいいだけだ。肩を作る方法を考えればいい。国際戦や海外はベンチ前のキャッチボールを禁止されている。これだけでも日本の方法に慣れているピッチャーは苦労する。それでも、決まっていることには対処しなければいけない。それぞれで、チームで対応した。その結果、日本は全勝優勝している。
高校生の部活動だ。部活動での目標を定めること、方向を決定するのは彼らにある。だから、外野からどうのこうの言う資格も権利もない。プレーに対する批評はするが、部活動の方針に口を出す資格はない。甲子園だってマスコミとファンがつくりあげた虚像の巨像。もちろんその伝統に憧れて高校野球をやる、甲子園を目指すという選手は多いわけだが、感動創造機関でも熱血涙汗機関でもない。活動の仕方は学校と部による。そして、名選手が、ここで野球が終えてもいい、ぶっ壊れてもいい、という感情になるのは一時の事で、それは貴重な青春の2年数か月を濃厚に過ごした仲間や時間があるからそういう感情になるだけで冷静に時間が経てば、よかったと思える。逆に壊れてしまえば後悔に至る可能性の方が大きい。早まった、若かった、と。


