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甲子園に出たいというのは比喩

昨日まで3度に渡り、稀有なある高校野球チームのストーリーを記した。

2020-2-6 高校野球 出場辞退 対外試合禁止

2020-2-7 俺達の時代のはずが・・・高校野球 出場辞退 対外試合禁止Ⅱ

2020-2-10 不遇から復活そして溝・・・高校野球 出場辞退 対外試合禁止Ⅲ

 

その中で甲子園出場を目指したという表現をした。

もちろん、その通りではあるのだが、多くの場合、甲子園に出たいというのは比喩の事が多い。

高校野球をやる選手は全てが甲子園を夢見、憧れているというのは早計だ。

甲子園を夢の舞台としているのは、マスコミや主催者、ファンの見方であり、

それから多くの出版物やテレビ、映画の影響によるイメージだ。

 

高校野球を志すにいたった理由として、幾多の名選手、幾多の名勝負と

同じ舞台でやりたいというのもある。

動機でもあるし、憧れではある。

 

しかし、一度足を踏み入れた高校野球の世界では、甲子園出場を目標として念頭にはあるものの、

毎日の練習や試合を繰り返していくと、目先は、勝ちたいということの方へ移る。

敗けたくないという気持ちだ。

これまで積み上げてきた俺達の力で相手に勝ちたいということ。

 

こんな感情の中、さらに芽生えるのは義務感、野球を終えた後のステップ、

あと何日で終えられる、などと複雑な感情にも至る。

 

昨年の夏、佐々木が決勝戦温存で高校野球の捉え方に一石を投じた。

決勝まで来て、甲子園出場を目の前にすれば、それは勝ちたい。

その中で、それまで甲子園を目指してきた周りの選手たちを無視した采配という感想を耳にした。

しかし、佐々木程の逸材の体を慮れば、周りの選手たちも納得していたかもしれないし、

チームとして話し合った結論かもしれない。

あんな采配あり得ない、甲子園を目の前にした選手が納得するか、とまくし立てる人も

目にしたが、選手の感情は一様ではない。さまざまだ。

ある野球名門校の選手からは、こんなに野球ばっかりやっていていいのかなと、

自分のしている現状に疑いを持ち、将来への不安を口にすることを聞いたことがある。

別の野球名門校の選手からは、早く終わんないかなという口癖を聞いた。

 

ただ、試合になってしまえば、闘争本能、負けたくない気持ち、楽しい、が沸き起こり一生懸命やってしまう。

とりあえず、やるだけやって結果が出てから考えよ、という気持ちにもなる。

そして、負けて泣くのは、早く終わってほしかったけど、本当に終わってしまった。

終わってほしかったけど本当に終わると寂しい。

敗けた悔しさ、むかつきは募る、終わってしまうとまどいが複雑な感情を操作させる。

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