野球は脚のスポーツだった。
西武が黄金時代を築いていた80年代後半。
87年の日本シリーズで西武は脚を駆使した。
当時の西武には走れる選手が多くいた。
戦前からセンター・クロマティの緩慢プレーに目をつけていた伊原コーチはクロマティのところに飛んだら
果敢な走塁をする作戦を立てていた。
そしてそれを選手に伝え、浸透させておいた。
辻が1塁ランナーにいる場面で秋山のセンター前ヒットは左中間に飛んだ。
クロマティから見て右へ移動することになり、前に出てこず捕球した。
ランナーを意識していれば、もうちょっと前の位置で処理してもいい打球の勢いだった。
クロマティは左利きなので、捕球から送球へは右側で捕球してから左へ回転しな
ければならない。
右利きなら捕球した勢いでそのまま返球ができるが、ここも時間を要する一因だった。
それに輪をかけてクロマティの大きなモーションと緩い球での返球で時間がさらにかかる。
そして極めつきは、川相のカットの位置だった。
クロマティの動きから辻の3塁進塁には間に合わないと判断した川相は、
1塁ランナーの2塁進塁を避けるカットラインに入った。
つまり、左中間で捕球したクロマティと3塁に結ぶラインに動きながら、方向を変更して、
2塁に近い位置になるよう脚を止めたのだ。
そこで伊原3塁コーチは川相が右回りで1塁ランナーを気にする動きをしたらゴーさせようと瞬間的に思った。
3塁で止まるだろうと思った川相が1塁ランナーの動きを気にして、3塁に目をやらないのを確認した伊原は
回した腕を止めることなく辻を突入させた。
この時、腕を回しながらも川相が辻を先にケアしたら、そこで止めればいい。
3塁コーチはギリギリ戻れるというところまで回して、戻れの指示を出すものだ。
これを引っ張って、引っ張って止めると言う。
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