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イチローよ永遠なれ 今週のイチロー特集 ダイジェスト

2019-3-25 緊急イチロー特集 野球選手になりたかったんじゃない。 イチローになりたかったんだ。若い選手に与えた影響

イチローの1年目だった1992年。翌年から日本にもプロサッカーリーグが開幕するとなった。そして、Jリーグが開幕し、あのドーハの悲劇が起きた。世は一気にサッカーブームとなり、Jリーグのスタジアムはどこも満員、熱気の渦となった。サッカーはファッションの一環として生活の一部となり、その関連グッズを身に着けることもステータスになった。一方、野球は一昔前のパンチパーマ、セカンドバッグ、金ネックレスのイメージも影響し、また、高校野球の坊主からダサい、古いとなり、野球離れが大きく叫ばれることになった。ONが去り、球界にスーパースター不在が20年以上続き、野球の行く末を案じる中、まさに救世主として登場した。日本が高度経済成長の中、その象徴として人々を熱狂させたON。バブルがはじけ、サッカー人気に押される中、登場したイチロー。

 

2019-3-26 緊急イチロー特集 イチローだけが海外へ渡ったあとの方が活躍

日本のレベルでは、西岡、青木はハイレベルであり、一流選手だ。イチローの脅威的な記録には、及ばないとはいえ、頑張ればもっと差が埋まるのではと思わせる。しかし、ピッチャーのレベルが上がる大リーグへ行ったら、差が広がった。日本を発った日本人のほとんどが戻ってくると、かつての輝きよりは劣る。これは仕組みが整っていないことが大きな要因だ。行きたい。やれると思った瞬間がピークであり、その後、FAやポスティングで移籍してもピークを過ぎた後、しかも、MLBの舞台では出場機会や扱いが日本の頃のVIPからただの一選手になり、出場機会が少なくなる。成績も当然、日本よりレベルが上がるため下がることになる。するとピークを過ぎ、試合経験が落ちるため実力も落ちるという連鎖になるのだ。したがい、日本に戻ってきた時、ファンや球団はかつての輝きを期待するが、そうなることはまずないという現象になる。

 

2019-3-27 緊急イチロー特集イチローが世に知れ渡ることになる1994年は、バットをくるくる回すだけだった

中日の左バッターでテクニシャンである田尾が打席で構える前に体の前、ピッチャーに向けた顔の横でバットをくるくる回す仕草に影響を受けたのだ。イチローが世に知れ渡ることになる1994年は、まだこの田尾のようにバットをくるくる回すだけだった。この仕草をやる理由は打撃フォームは背筋を伸ばしたまま行いたいという意識からもし、背中がまるまるようだと、くるくる回したバットが帽子のつばなどにぶつかり、丸まっていることがわかる。または、背筋が丸まったままならバットを回すことで背筋を伸ばす意識につながる。実際に田尾のインタビューにそう答えており、田尾もそのためにやっていたと言っている。

 

2019-3-28 緊急イチロー特集 世界一の選手がワールドシリーズ出場なし

マリナーズ時代のヒット量産を主眼としたプレーからつなげる打席、つなげる走塁をしだした。そこで結果を残し、サブから下位のレギュラー、最後は定位置である1番まで掴みとり、主役の一人にまでのしあがってきた。改めてイチローの底力を感じ、日本人プレーヤーでこの芸当ができるのはイチローしかいない。もっと言えば、38歳で干された選手が、スター軍団の中でその地位を確立するまでのしあがってきたというのは、世界広しと言えどイチローにしかできない芸当とも言えるかも知れない。

 

2019-3-29 緊急イチロー特集 最後はライトで9番

あの打ち方でインコースをどうさばくのか、右方向に強い打球をどう打つのか。この打ち方ではホームランは出ないだろう。トスバッティング(ペッパー)のような打ち方だ。とこの場では過去に記していた。すると、この打ち方は良くなることなく、その打ち方ではMLBで必要とされる選手ではいられないと叫び続けたが、直ることなく、あのイチローが寂しい末路を迎えてしまった。

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