連載6回目。エースの登板回避と高校野球の姿勢。
2019-7-31 佐々木の決勝登板回避 論点はそこじゃない
2019-8-2 登板回避は日程緩和ですぐに解決できるが、それだけで事は済まない
2019-8-6 佐々木だから大事に投げさせなかったし、佐々木だから話題になった
佐々木が登板回避したことで一石を投じた。
高校野球で圧倒的に多く議論になるのが、球数や日程。
これらは全てピッチャーのためという以外の理由はない。
高校野球はピッチャーの負担がとても大きい。
故にピッチャー次第で勝負が決まる。
ピッチャーの負担が大きいから、日程を緩和しなければいけないジレンマにさいなまれる。
また、球数制限などという苦肉の策まで考えざるを得ない。
投げるという動作は人間の体の構造上、不自然な動きなので繰り返せば異常をきたす。
そして、事を大げさにしてしまうのはピッチャーが繊細ということで、
肩、肘の故障やその他の箇所でもそのまま選手生命にかかわる。
ちょっとしたことでもベストピッチができない。
日程を緩和することは、ピッチャーを休ませるためにあり、
それはベストゲームにもさせる効果がある。
真夏の甲子園では、よく、決勝戦が凡戦になることがある。
それは、エースに頼って連戦を重ねてきたチームがついに、そこで力尽きるからだ。
エースに頼るということは選手層が薄いことを意味し、力尽きたエースとともに
チームは運命を共にする。
昨年の金足農が典型だ。吉田とともに心中した。
日程緩和によりベストゲームを誘導し、ひいては野球発展につながる。
野球のレベル向上にもつながる。
しかし、
高校野球は高校生の野球の勝負や技術の進展を目的としていないし、
そもそもが、たかが部活動だ。
最高パフォーマンスの発揮より、人間形成に野球を利用しているにすぎない。
そうでなければストライクボールの判定に代表される、あれだけ酷い判定に
抗議を許さなく、改善もしないなどということが100年も通るわけがない。
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