たった一人の一瞬の判断が覆ることのない世界。
法治国家が無視される空間が高校野球。
正義よりも、空間内の疑問だらけの変わることのない規律に従う。
高校野球判定の姿勢、木曜連載7回目。
2023-8-17 糾弾、解体、呆れ、それでも存続し続ける高校スポーツ界の勝負
2023-8-24 判定は100%正確で当たり前の世界 褒められない
2023-8-31 高校生の高度なプレーに審判がついていけない
2023-9-7 審判より球場中の観戦している人間の判定の方が正しいことだらけ
2023-9-21 タイミングと流れでアウトでいい場面 判定は正確と納得
審判の判定が間違っていることを誤審というわけだけれど、誤審は悪ではない。
裁判は検証に検証を重ねて冤罪を作り出し、この誤審は悪だけれど、スポーツの判定は
一瞬で出す仕組みになっているので、間違えることをわかりきっている。
悪はそれをわかっていながら審判に立候補する人柄と、間違うことをわかっているのに
そのまま採用する主催者であり、そしてそれをいつまでも続けている仕組みだ。
高校野球は取り返しのつかない一発勝負であることを考えれば、本来高校野球ほど、
この判断に任せていてはいけなく、罪深いはずなのだ。
一年間に費やした時間や、すり減らした心身など関係なく、その日にたまたまあたってしまった審判に
勝敗を決定され、人生を賭けた価値を勝手に操作される。
恐ろしくヘタクソ。
これだけヘタクソなのだから、近くにいる必要がない。
遠くで見ていても一緒だ。
遠くから複数で見て判断すればいい。
間違えることが判っていながら変わらない姿勢ははっきり言って犯罪だ。