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野球ができる身体 走ることを否定するトレーニング 走ることは偉いこと 野球で長い距離を速く走る場面今週のダイジェスト

2021-12-13 野球ができる身体をそもそも持っているのですか

ダルビッシュとイチローの取り組みの違いは選手としてのタイプ、ピッチャーと野手との違いもある。ピッチャーは球威をつけるには体の大きさがものを言う。体の大きさとは身長、体重、筋肉といったところだ。大きくなればそれだけ球威が必ず増すというわけではないが、小さい体で力のある球を投げるということはできない。小学生、中学生、高校生、と体の成長とともに球威は増すし、成熟したプロであっても筋肉や体重を増やすことで球威が増す。ダルビッシュはこれを選択したはずだ。

2021-12-14 長距離は走らずとも走る競技である野球 走ることを否定するトレーニング

ヤクルトキャンプで12分間走というトラックでのトレーニングが行われ、ルーキーだった奥川がトップの3,375メートルを記録したことがあった。12分間という最初から決められた時間の中で、どこまで距離を延ばせるか、というトレーニングになるわけだが、ということはキロ約3分33秒となる。今年の箱根駅伝、1区最初の1㎞が3分33秒だった。これは信じられないほど遅いペースだ。20㌔程を走る箱根ランナーにとって、このタイムは超スローペースであり、ジョギング程度のペースだ。ところが3㌔程しか走らないトレーニングでの優秀なタイムとなるのが野球選手なのだ。約20㎞を走る箱根ランナーにとっては超遅いペースなのに、3キロくらいしか走らない野球選手にとってはトップクラスの速いスピードとなるわけだ。

2021-12-15 走ることは偉いこと、楽をすることは悪、つらいことを克服することは善

罰であるからこのつらいことを持って反省しろ、という意味だ。走ることを罰として肉体に苦痛を与えると反省が促され、事は好転するという意味なのだろう。大人のプロ野球選手にどこまで効果があるものなのだろう。ランニングを罰として用意したのなら、それが過度な肉体疲労を伴うということになる。必要であるなら罰でなく、普通に練習の一環としてやればいいだけなのに罰ということは過度のトレーニングということになる。ということは、これによりケガにつながり、敗けたことを反省させるはずが、さらに敗けに近づく、戦力の削ぎ落しということにつながる。

2021-12-16 走ることを徹底的に否定する根拠 野球のトレーニング

走り込みを否定するダルビッシュは大前提として走ることを苦手にしているということがあろう。筋トレや栄養と増強食の摂取でデカイ身体にすることを選択し、これにより質の高い球を手に入れられると判断した。それなのに走ることは身体をしぼませてしまい、逆効果だと判断した。そして、あれだけ大きい身体を移動させると、消耗度は大きく、しかもそれを長い時間かけて行うと苦しさが続く。走ることを回避して質の高い球を手に入れる方法を知ったため、嫌な事を徹底的に否定する根拠を持つことができた。走って得られることと、走らずとも得られることと、走ることでは得られないことと、走ることで失うこと、とあるように思われる。

2021-12-17 野球に長い距離を速く走る場面はない

野球が強くなるために運動能力の高さは要求されるが、その能力は長い距離を走る能力ではないのだ。体をでかくする行為をし、パワーをつけ、強いスイング、強い球、といった基礎能力を伸ばすことは長い距離を走る能力を阻害するものなのだ。野球に長い距離を速く走る場面はない。

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