毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

走ることは偉いこと、楽をすることは悪、つらいことを克服することは善

野球選手の大きい身体を動かすにはエネルギーがいる。

2021-11-30 走れ!走れ!ピッチャー

2021-12-2 走るのも走らないのも、いい球が投げたいから

2021-12-3 ひと冬越えると球速が増す、とは言う人が多い

2021-12-8 ひと冬越えたらと言わず、いつもやってればいいじゃない

2021-12-10 野球選手に必要な体質とマラソンランナーに必要な体質

2021-12-13 野球ができる身体をそもそも持っているのですか

2021-12-14 長距離は走らずとも走る競技である野球 走ることを否定するトレーニング

 

子供の頃、動き回りたがるのは小さいので移動に苦労しないから。

大人になると、体の大きさにより動くに億劫になる。

だから、身体が大きい野球選手は長い距離を速くは走ることができない。

また、大きくしないとパフォーマンスが見劣る野球という競技では

長い距離を速く走ることが出来るようでは良い選手とは言えない。

 

日本では走ることは偉いこと、という意識があり、ランニング至上主義とも言えるほどであった野球界。

日本には楽をすることは悪、つらいことを克服することは善とされる意識がある。

だから苦行である走るということを課すこと、そしてそれをこなすことは善であり、

乗り越えた先にこそ栄光が待っていると思われている。

 

罰走ということばがある。

罰であるからこのつらいことを持って反省しろ、という意味だ。

走ることを罰として肉体に苦痛を与えると反省が促され、事は好転するという意味なのだろう。

大人のプロ野球選手にどこまで効果があるものなのだろう。

 

ランニングを罰として用意したのなら、それが過度な肉体疲労を伴うということになる。

必要であるなら罰でなく、普通に練習の一環としてやればいいだけなのに

罰ということは過度のトレーニングということになる。

ということは、これによりケガにつながり、敗けたことを反省させるはずが、さらに敗けに近づく、

戦力の削ぎ落しということにつながる。

 

過度なトレーニングなら回避すべきだし、必要な練習なら罰ではなく、やらなければいけないこと。

どっちにしても罰としての意味がないということになる。

野球情報メールマガジン

https://twitter.com/yakyucolumn

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP