野球選手の大きい身体を動かすにはエネルギーがいる。
2021-12-2 走るのも走らないのも、いい球が投げたいから
2021-12-3 ひと冬越えると球速が増す、とは言う人が多い
2021-12-8 ひと冬越えたらと言わず、いつもやってればいいじゃない
2021-12-10 野球選手に必要な体質とマラソンランナーに必要な体質
2021-12-13 野球ができる身体をそもそも持っているのですか
2021-12-14 長距離は走らずとも走る競技である野球 走ることを否定するトレーニング
子供の頃、動き回りたがるのは小さいので移動に苦労しないから。
大人になると、体の大きさにより動くに億劫になる。
だから、身体が大きい野球選手は長い距離を速くは走ることができない。
また、大きくしないとパフォーマンスが見劣る野球という競技では
長い距離を速く走ることが出来るようでは良い選手とは言えない。
日本では走ることは偉いこと、という意識があり、ランニング至上主義とも言えるほどであった野球界。
日本には楽をすることは悪、つらいことを克服することは善とされる意識がある。
だから苦行である走るということを課すこと、そしてそれをこなすことは善であり、
乗り越えた先にこそ栄光が待っていると思われている。
罰走ということばがある。
罰であるからこのつらいことを持って反省しろ、という意味だ。
走ることを罰として肉体に苦痛を与えると反省が促され、事は好転するという意味なのだろう。
大人のプロ野球選手にどこまで効果があるものなのだろう。
ランニングを罰として用意したのなら、それが過度な肉体疲労を伴うということになる。
必要であるなら罰でなく、普通に練習の一環としてやればいいだけなのに
罰ということは過度のトレーニングということになる。
ということは、これによりケガにつながり、敗けたことを反省させるはずが、さらに敗けに近づく、
戦力の削ぎ落しということにつながる。
過度なトレーニングなら回避すべきだし、必要な練習なら罰ではなく、やらなければいけないこと。
どっちにしても罰としての意味がないということになる。
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