WBCは個人の記録など全く関係ないからチームの勝利以外、誰もこだわらない。チームが勝つのなら喜んで裏方にも回るし、日頃と違うポジションもやる。現にイチローの言動は普段とは全く違うもので、味方の活躍に大喜びし、自らバントを見せ、結果が出なければスタメンから外れることも辞さなかった。代表戦は誰もがチームの勝利の事しか考えないからだ。勝つこと以外に興味がない。だからどの選手も味方の選手の活躍に喜び、それにより戦況が良くなることに安心する。ペナントレースとは違ってくるわけだ。
2024-4-30 右打者は左ピッチャーからデッドボールは受けない
右ピッチャーが多い、ということだ。右打者にとって右ピッチャーから放たれた球の軌道は左ピッチャーのそれよりはるかに見にくい。というより、右打者にとって左ピッチャーの軌道は普段多く対戦する右ピッチャーより見やすい。だから見づらい軌道の投球を体で受けてしまうのは右ピッチャーに対した右打者ということになる。左打者は右ピッチャーの軌道は怖くないので踏み込んで行ける。
審判への過度な要求や負担は、なり手がいなくなることつながるということも戒めへの制限となっている。だが、いなくていい。いない方がいい。いなくて困ることはなにか。やってみたらわかるだろう。何も困らないのだ。今のひどい判定より、はるかにいいことがわかる。野球誕生以来、決められた位置に一人の審判が立つという慣習を見直せば解決する。
わざわざ芝生の上を走るのかが疑問だ。グラウンドなのだから芝生となるように作っているのにわざわざそれを壊す行為とも見られる。野球をするのに外野後方に芝生が生えていない道ができてしまってはプレーに支障をきたすとも見られる。そう思うのは、外野フェンス沿いには芝生がないスペースがあるからだ。たいがいどのグラウンドにもそういう箇所があり、走るのはそこを利用することが多い。たとえそこを走らなくても、芝生が薄くなってきた、と思えば少しコースを変えようとか思わないものか。誰か止めないか。
打者に専念している大谷は出場し、ここまでデッドボールがないようだ。ここまでの強打者は厳しい攻めがされることが以前は常識とされていたが、アメリカ野球文化のちがい、と突出した打者には逆に攻められなくなった、という現象か。以前、先輩・菊池との対峙では手に投球を受けて苦悶の表情をしたことがあった。一瞬、骨折か?と騒然とした。右投げ左打ちの大谷は右腕に当たる。投げる方に支障が出る危険を常に抱えている。