高校生活の間だけという期間が定められ、一発勝負で数度の大会しか用意されていない高校スポーツでは今までの成果を思い切って出す場ではなく、自分の未熟さを露呈する場、失敗を発表する場となってしまうものだ。失敗発表会と言える。
勝つという事にフォーカスした場合、同じピッチャーが何度もやるより、打者によって有利と思えるピッチャーをどんどん充てていった方がいい。右ピッチャーが左打者と3度対戦するより、一軍半の左ピッチャーをワンポイントで使った方が可能性は高いだろう。だから一軍と二軍の行き来を頻繁に行い、調子のよいピッチャーをワンポイントでたくさん備えておけばいいのだ。初回からでもどんどんワンポイントを使っていい。
思い出をつくるために生きているわけじゃないけど時間は必ず経過するから思い出になってしまう。
エンターテインメントを含むプロの野球は、マスコミが記録をはやし立て、それに乗せられたファンが記録を喜び、そこを判断基準としがち。したがい、良いピッチャーとは記録を持つものだし、そういうピッチャーがスターとされる。だから、この起用法は、当然スターを生まれにくくさせる。スターが生まれにくくなること、そして点が入りにくくなることにより野球をつまらなくする、という一部の判断が出てくるだろう。そうなれば、規制が入ることになろう。
機会の平等は与えられているかもしれない。同じ野球部の看板を背負うことは許され、練習場の出入りも許され、近くには実力者がいる。その中で自分のできること、自分がやるべきことを見出せばいい。分相応に自分を磨き、目標を見いだせれば、レギュラーでなくとも、試合に出なくとも、意味はある。そしてチームの勝利こそが個人においても最高の結果となる。