落合の足跡は全てが独特だ。俺流と表現されるのがよくわかる。アマチュア時代の野球への取り組み、プロへの入団の経緯、否定された打ち方。亜流を通ってきたのに、3度の3冠王という前人未踏の大記録。常軌を逸していたからこそ、尋常でない記録へと到達できたのか。王やイチローといった想像を絶することをしでかす人も常軌を逸している。1対4という空前で絶後のトレード、選手会を拒否しておきながらFA初年度行使、年俸法廷闘争と、行動でも常軌を外して話題を振りまいてきた。それを象徴するかのような印象深い言葉に”プロはそんな甘い世界じゃないから、すぐに無理だろうと思ったら、すごく甘い世界だったのでずっといようと思った”落合にしか言えないセリフだ。
弱小の高校でスカウトの目にもとまらない無名選手、テストも本来合格ラインに達していない。極めつきは戦力外を告げられてさえいる。そんな選手が打撃記録で通算2位というものが多いほどの球史に残る大選手になった。史上最高のサクセスストーリーか。
最後の4人目は野茂だ。野茂は史上最多8球団の1位指名を受ける程のピッチャーだが、高校は無名の公立校を選択している。高校時代にプロのスカウトからマークされてはいたようだが、社会人へと進んだ。そこから一気に全国区のピッチャーになっていく。近鉄の顔であったにもかかわらず、複数年契約を拒否されるという処遇は今ではあり得ないだろう。この球団とのトラブルで任意引退選手となり、海外へと飛び出した。高校選択時代は強豪校のセレクションに落とされ、プロでは球界のエースになりながら球団に嫌われるという、不遇な野球人生と言えよう。
1975年生まれの世代を代表するのはやはり、由伸だろう。上原や松井稼頭央といった実績では上位と言える選手がいるが、○○世代と言ったら由伸世代になろう。それは、その足跡がエリート街道、スター街道をまっしぐらだったからだ。高校1年生の頃から名門、桐蔭学園で3番を打ち、2年連続甲子園出場。2年生の時はマウンドにも登りサヨナラを食らっている。慶應大学でも1年からレギュラー、全試合フルイニング出場、六大学のホームラン記録を更新した。大学時代は明治に川上がいた。由伸は六大学時代は川上をよく打った。ところが、プロ1年目は川上から全くヒットが出ず、結局1本のヒットがホームランで新人王を川上に譲った。プロに入ってからも常にスポットライトを浴びる道を歩んできた。マスクもいいので人気は当然上がるし、マスコミの取り扱いも特別だ。同世代の選手は皆、由伸を意識していたに違いない。名門、桐蔭学園で1年生から3番打者、慶應大学では全試合出場し、ホームラン記録更新。巨人ドラフト1位から引退後すぐに巨人監督。絵に描いたようなエリートだ。だから、この世代は由伸世代。
2020-4-17 74年生まれはゴジラ世代 超エリート井口がいながら井口世代でない
国学院久我山2年生の時、3番ショートで甲子園出場。この時の西東京予選でホームランを量産し、一気に注目を集めるようになった。青山学院大では小久保の3年後輩。のちにダイエーでもチームメートとなる。学生NO.1野手としてオリンピック銀メダル。大学日本一、東都リーグ史上唯一の三冠王。シーズン8本塁打のリーグ記録。通算24本塁打の東都記録。昨日記した、一つ年下の由伸が六大学通算23本と酷似する。ダイエードラフト1位。日本一。海外へ移籍し、ワールドシリーズチャンピオンを経験。日本一と世界一を経験した選手になった。2000本安打を達成し、名球会入り。高校時代に甲子園に出場し、大学では日本一になり、ドラフト1位で日本一も世界一も経験して名球会入りしているのは井口だけだろう。そして今やロッテの監督。
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