体があったればこそ、体力があるからこそ、スイングスピードが向上し、難しい球も打てるようになったり、飛距離を出すことができたり、速い球が投げられたり、遠くに投げられたりする。野球素人の室伏が速球を投げて驚かせるのも、タレントの樽美酒研二がヘタクソな投げ方で速球を投げるのも、体があるから。逆に言うと、体がないから同じことをしても同じようなスピード、打球、飛距離が出ないことになる。
表を0点で凌いだ裏のチームは1塁ランナーがいらないということになる。1点獲ればいいのだから。ワンアウトで3塁にランナーを置きたい裏の攻撃のチームはすみません、1塁ランナーいらないんで、ランナー2塁からはじめてもいいですか?と言いたくなる。アウトカウントもったいないんすよ。と。ランナー2塁からはじまれば、送りバントにはタッチプレーとなるのでバントが決まりやすい。すると、得点のチャンスは1,2塁の時より高くなりそうだ。1点だけ要る場面では、1,2塁の1塁ランナーは邪魔で2塁だけがいい。敬遠策で塁を埋めて守りやすくするというのも、これに通ずるものがある。ということは、1,2塁ではなく、ランナー2塁で始めた方が、得点が入りやすく、タイブレークの目的である早期決着がはかられるのでは。
2019-9-25 代表戦の球数制限と性質が大いに異なる高校野球の球数制限
高校野球界の超一流が集まる代表戦なら、温存やイニング制限が充分可能だ。また、相手打者の右、左でもワンポイントのため、主戦ピッチャーを降板させることもできる。プロと同じような起用が可能なのだ。高校野球に球数制限を導入するのとは絶対的に違いがあり、こちらに導入することになれば戦い方が変わるどころか、チーム作りが変わり、学校の方針が変わり、存続自体にも関わる大ごとだ。
阿部はいい辞め方だ。プロ生活19年ということは、今の20代後半くらいの人達がも物心ついた時に球界の中心人物として活躍していたということだろう。ということは、今、プロ野球選手になった多くの選手も、子供の頃から阿部のプレーを見てきたと言うことになる。それゆえショックは大きいが、大きいからこそスターの辞め時としてはいい。ここでチームが優勝し、花道とするにはここが最適だろう。
校歌は、その高校ならではの詞が当てはまるのがいい。すると、必然的に郷土を思い起こすことばが入ってくることになろう。そうすることで、そこで学んだ生徒たちに共鳴が生まれ、それが同窓生の普遍の価値観となっていこう。そのための校歌と思われる。夢だの愛だの実態がはっきりわからないもの、主観によっては、必要ないものを混ぜ、きれいな言葉としてつなぎ合わせても一過性の賛美にしかならないように思える。したがい、校歌になりえないということになる。
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