たった一人の一瞬の判断が覆ることのない世界。
法治国家が無視される空間が高校野球。
正義よりも、空間内の疑問だらけの変わることのない規律に従う。
高校野球判定の姿勢、木曜連載9回目。
2023-8-17 糾弾、解体、呆れ、それでも存続し続ける高校スポーツ界の勝負
2023-8-24 判定は100%正確で当たり前の世界 褒められない
2023-8-31 高校生の高度なプレーに審判がついていけない
2023-9-7 審判より球場中の観戦している人間の判定の方が正しいことだらけ
2023-9-21 タイミングと流れでアウトでいい場面 判定は正確と納得
良識が通用しない高校野球が頑として変わらない最大の理由は野球技術の向上を
目的としていないからだ。
これがすべてとも言える。
そこを観ている側と主催者さらにマスコミにもとらえ方に差がある。
高校野球は部活動だから、野球技術の向上を本来の目的としていないのに、観ている側は
野球の勝負、10代の若者の野球技術力、母校や名門の野球発展という目で観てしまっている。
高校野球にとって現場指導者は野球そのものを目的としているが、
仕組み自体は、野球の技術の向上はどうでもいいし、勝敗もどうでもいいのだ。
だからプロと同じようにテクノロジーによる映像確認を導入しろ、と単純に言い出す。
こんな流され者の発想より、他にできることはいくらもあるし、まず変えるべきはそこからではない。
高校野球でなく、甲子園大会をU-18大会とすればリクエストもいいし、抗議もありだし、
そんなものはすぐに導入できる。
そんな小手先のことではない。
これができないのは、金と牙城のため。
ここで言っている金とはテクノロジー導入にかかる金のことではなく、
チームにかかる金のことで、学校単位で野球組織を作った方が金をかけることができるし、
牙城とは100年以上続いた伝統、文化のことで、これらに立ち入って新たな仕組みをつくるには強固だ。
高校野球は部活動。本業は学問。
だから学問を補完するのに野球を利用しているだけだ。
机に向かっているばかりでは健康に悪い、体力つけなきゃ、また、他の事をやることも学問に役立つ。
あくまでも学問の補完で、精神、教養、道徳を身につけるためにあるのが高校野球。
だからまず、この仕組みを再考することからとなる。


